お彼岸法要 2018.

秋のお彼岸のご法縁を

皆さまと共にいただきました

おじいちゃん おばあちゃんと一緒に暮らしたことの無い方や

子ども達とも一緒にお聴聞させていただきました

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佐賀に居たころ

神崎の あるお寺さまでは

ご法話が終わった後 庫裏の一室にご年配の男性女性が集まって

お茶を飲みながら

「 わたしはこう聴いたよ 」 「 ほ~ わたしはこう聴いた 」と

仲間の聴いた法話の内容を 聴きあっていらっしゃったことがあり

わたしは その様子を不思議に感じたことがありました




今回 たまたまご法話の後で住職が 

ご法話の中でお聴きした法名と戒名の違いやら

それを聴いてどう思ったかなどをみなさんに訊いたところ

それは それはおもしろい受け止め方やら勘違いがあったと言っていました

誰か一人が聴いたことを 「 こう聴いた 」と口に出して住職に話したら 

ほかの誰かも同じように思っていたと 隣の人の顔を見ながらホッとしたり

「 そうだったの?! 」とか

「 安心して死ねないと思った 」と笑いが出たり

そんなこんなを口に出さずに神妙な顔だけして帰っていたら 

うっすらとした 自分の殻の中だけのことで終わるところでしたね

表に出して光に当てて いろんな目で見てみると

自分だけが聴いた最初の相とは違って見えて

殻が破れて自由な気持ちになりませんか?







昔見た あのおじいさん達の「 わたしはこう聴いた 」と語り合われていた姿は

とても大切なことをなさっていたのかもしれません





わたしという者は わたしに都合よく聴く癖のある生き物のようですから

口に出したらボロが見えてしまう・・・

わたしだけが知らなかったら・・・恥ずかしい

と思うけれども 

自分一人の受け止めは それは間違って聴いていることかもしれません

一人よがりの勘違いのときもある

もしも あなたにも ボロがあるなら

お寺ではボロを出してわらいませんか

それは 他の人にとってもハッと気がつくことであったりします

それは 小さい自分を受け入れてわらう 背中の一押しになったりします

大人が自分の欠けたところや 恥ずかしいところをわらっていたら

そこに居る若い者もホッと肩の力が抜けるかもしれません






ともに集って法を聴く意味ってこんな所にもあるのかしら?






また 住職にいろいろと尋ねる材料ができました






この度もありがたいご縁でございました

みなさま、ようこそおまいり下さいました

内藤先生もほんとうに遠いところをありがとうございました



                                                  なもあみだぶつ



























































by shinwoyorokobu73 | 2018-09-26 23:48 | 行事 | Comments(0)
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