山伏 弁円  山賊 弁円  

うららかな光が射す先日 日曜日の午後に

降誕会法要を勤めさせていただきました

ご講師の大喜先生は遠く山形県から駆けつけてくださいました

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先生は関西に長くお住まいであったということで

滑舌よく ちょっと早口でありまして

私たちは 心地よいそよ風の窓の外の緑を眺めながら ウトウトする暇もなく

鎌倉時代の時代背景や その当時の社会の在りようをお聞かせいただきました


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私が 休憩時間に 先生に

「 私は歴史というと 学生時代の年代の暗記が思い出されて

  あんまり好きではなかったんですけど

  山伏弁円を山側から見たのと 下界からと見た時の感覚で

  その印象が違うというのが 目からウロコでした 」

と申し上げましたら



「 歴史って何にでもあります

  我々はこれで飯を食ってますから 

  皆が知っている目立つところばかりを調べますけれども

  誰でも 何でも 歴史を持ってます

  それも 時代によってその時の感覚とはどんどん変わっていくんです 」

と仰いました






板敷山の『山伏』だった弁円にとって

板敷山は山の神様がいらっしゃる神聖な場所

「 自分たちはそこを守っているのだ

  だから そこを通り道にする奴は 神様にお礼をしていけよ 」

そういう理由で通行料やお礼の品物を盗って いや 取っていた

しかし、下界の 板敷山のルールを知らない人から見たら

そういう「 自分たちは山伏だと思っている 」人達のことを『 山賊 』と呼んだ

 







私達の物の見方は光の当て方で様々なのですね

ほんとうに 当てにはならん・・・

しかし、親鸞さまと出逢った弁円さんはお念仏を慶ぶ人になられた

ということだけは 本当




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 先日 あるお寺さまのお祝いの法要がございまして

 住職も出勤させていただきました

 そのお斎(とき)の席で住職は

「 みほとけと 皆さまのおかげにより このご馳走を恵まれました

  深くご恩をよろこび ありがたくいただきます 」

 と食前の言葉を口にして箸をとったそうです


すると お経や作法の専門の先生をなさっておられるご住職から

「 『 あなたは 普段は言ってないな 』と言われたよ 」

と帰って来てから言うので

「 失礼ね! どうして? 

  だってお父さんは

  家でも毎食前後言っているし

 (鴨志田の蕎麦屋の)『更科』でだって

  『 ガスト 』でだって 『 同窓会の飲み会 』でだって大きな声で言ってるじゃない? 」


私は訊き返しました


「 最近変わった 『 新しい食前の言葉 』の方を言わなかったからだろうね? 」



なぁんだ そんなこと。



うちの住職は

自分の脱いだ靴下は野球ボールみたいに丸めたまんま 椅子の上にのせっぱなしで片づけなくても、

食前後の言葉は必ず口にするのです。


夕食の後 自分の皿コップはそのまんまで流しに下げないけれども、

食前後の言葉は必ず口にするのです。


外食の時、子ども達が恥ずかしがるくらい丁寧に手を合わせて

食前後の言葉を口にしては頭を下げるのです



因みに 子ども達は『新しい食前の言葉』を覚えるのが早く(若いっていい・・・)

今様を口にしております 新しい方も言えますV 
 







そんな 見方をする方もあるかと思えば







同じように うちの住職が以前の食前の言葉を口にするのを聞いて



「 先生も ずっと真面目に食前の言葉を勤めていらしたんでしょうなぁ

  ずっと続けてきたことを変えるのはなかなか難しい・・・

  私も 今でもついつい以前の言葉が口から出てくるのですよ 」




そう仰るご住職もいらっしゃったそう。

それを聞いて 私は少しはホッといたしました





同じ姿を目にしても 

「 あなたは 私は 」という見方をする人もあれば

「 あなたも 私も 」という見方をする人もある



それと同じで この私は

「 あなたは 」という目で見られたら ムッとしたり

「 あなたも 」という目で見られたら ホッとしたり

最近は ぶれなくなった気がしておりましたのに

住職を使ってまで 揺さぶりなさる

ほんに、ほんに、私は そういう奴でございます

如来は 様々な角度から このわたくしの本性を照らし 照らして

お念仏へと促してくださいます

なんまんだぶ なんまんだぶ






板敷山の弁円さんと親鸞さまの本当の邂逅の場面を見てみたかった!

きっと親鸞さまは弁円さんのことを山伏とも山賊とも見なさらなかっただろうと 私は思います

山側からの目でも 下界側からの目でも見なさらなかったのだろうと思います

『 私も あなたも 』の目でお話しなさったのではないかしら

人と人の本当の出会いは 偏りのない目からしか生まれないと思います



いや、待てよ。 最初からそんな優しげな話はあるのかしら・・・



恐ろしげな 山を治める修験者の弁円さんと お坊さまにしては自分で自分を愚禿などと呼ばれる親鸞さま



お互いに 物語のようにきれい事で始まった間柄ではなかったのかもしれません







ただ念仏のみぞ まことにておわしますらん




この度も ほんとうに有り難いご縁をいただいたことでありました

皆さま ようこそおまいりくださいました





                                 なもあみだぶつ













by shinwoyorokobu73 | 2018-05-23 13:19 | 行事 | Comments(0)
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