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思えば遠くへ来たもんだ。

おはようございます。気持ちの良い朝です



ぼんやりとした朝緑の中

葉影のどこかで 「 ホーホケキョ 」 とウグイスが鳴いています

本日は 「 歎異抄を読む会 」 14時半 からです

たのしみに お待ちしております







先日 本願寺からお電話がありました


  本願寺職員  「 西村先生、 ソナム さんのお写真をお持ちですか? 」


     住職   「  ソナム?  ネパール本願寺の 『ソナム』 の こと?

              うん、持ってるけど・・・・・めちゃめちゃ若いよ。最近のは無い。 」








 『 ソナム 』 というのはご存知の方々にはとても有名な僧侶で

  ソナム ブディア さん


今の 『 ネパール本願寺 』 を作った方で 当時は若くしてチベット仏教の高僧でした

彼のお父様も シッキムでは大変高貴な家柄の高僧で

当時 「 若いのにソナムが現地の人々と交渉をすれば 話がスッと進むんだ 」と住職も感心しておりました


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当時向坊弘道氏が作った

 『 グリーンライフ研究所 』 
(現在のネパール本願寺の前身、当時は折り畳み式の車いすを製作する場所にする予定だった) 

に於いて運営にトラブルが生じたため、青年僧侶 西村信也 は用心棒代わりに同行していたのでした。




向坊さんは東京大学に在学中交通事故にあい

四肢体幹麻痺というハンディキャップを負われていたからです




その時偶然にも小学校の校長先生をなさっていたソナムさんが

生徒を連れて来ていた旅先で一行は出会ったのでした

若干30代初めの西村と 20代半ばのソナムの出逢いでありました

今から17~18年前の事





チベット仏教と日本の浄土真宗を熱く語り合い 同じ釜の飯を食った仲間の様子は

その時に西村信也から わたしの元へ送られて来た絵葉書いっぱいに溢れておりました




ただ この時はまだソナムと西村は 後に ここがネパール本願寺に成ることも

ソナムがチベット仏教から転派して 浄土真宗の僧侶と成ることも

そこの代表になって ネパールに多くのご門徒を育てていかれ

西村は西村で 横浜に一件のお寺を開いていくことになることも

まったく知る由もなく

上の写真のように 仲良く笑って別れたのでした










一方その時 遠く離れた日本で ポツリと残されたわたしは

西村信也は 結婚する気があるのか?

関東に本気で寺を建てようなんて冗談?

日本にはいつ帰ってくるんだ?

何も言わずに外国でヘラヘラしている人なんか忘れて

いっそ ヤツの居ない間に誰か別の人と結婚してしまおうかしら、、、

佐賀にて 30歳を目前に控えて







終に 私は カトマンズのグリーンライフ研究所に国際電話をする

電話に出られたのは 向坊さんにいつも日本から同行なさっていた太田さん(ヘルパー女性) 

受話器の向こうの 彼女の長い一瞬 の 間 ・・・・・

その後

       「 きゃーーーー!(彼女の心の声) 

         信也先生ですね! お待ちください!



         信也せんせ~~~い ♡ 先生先生先生  せんせ~~! 

         日本からお電話です ♡  女の方 ♡ 」


初めての国際電話で 変な汗をかきました







その後

はっきりしない相手に痺れを切らしたわたしは

皆さんにこれ以上ご迷惑をかけられないと思い 

寺を出る決意を決めておりました




戦後没落したとはいえ、

日本屈指の豪農『金善』さん こと弥富家をご門徒に持っていたお寺のこと

昔からの因縁を知る親戚のご住職からも怒られました

白い目で見る人もあったかもしれません

泣いて引き留めてくれる総代さんたち おばさん達

申し訳ないでは済まされない 重たい空気





若かったとはいえ

愚かなわたしには

その大きすぎる重たい空気を変える智慧などあろうはずはなく

ほかの良い方法は考えつきませんでした 

「この後は絶対に中途半端には生きられない」 と心を決めて

まず一人で 僧侶の姿で総代さんの家々をまわりました

どうぞどうぞと言う総代さんはなかったけれど

おばさん達の「 さみしかぁ 」の言葉に目の中の景色は洪水・・・ 

最後に本堂の畳に頭をつけて謝りました。 両親とともに・・・・・・

もう僧侶のかっこうはできないと あれから布袍は着れません



その後は あれだけ何年も膠着状態( お見合いだったのにもかかわらず )だったのに

何故かすぐに結婚は決まってゆき

北九州で二人の娘に恵まれて関東の地にご縁を得ることとなります





下の写真は 横浜にて 西法寺本堂の上棟式ですねぇ

それほど時間がたった訳ではないのに

なんだか 懐かしい

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上の写真の お六字のご本尊は わたしが後を継がずに出た佐賀の 

その寺から お木像の阿弥陀様がお見えになるまでと

横浜西法寺が建立なってすぐにお貸しくださったものです

ご迷惑おかけしたというのに ほんとうに有り難いことでした

( お名号の掛け軸だけの 椅子も座布団も机さえ無くてガラーンとした本堂でした。)

如来さまの光を頼りに 皆さまの温情に恵まれた環境のなかを

ただ 一歩一歩導いていただいてきました 





建って3~4年はここ西法寺も下の写真のように こんな風でした。

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不思議なご縁で

その後 住職はダライ・ラマともお会いする機会があったり

ダライ・ラマは

住職の問いを まっすぐに目を見て受け止めて

早口で 本気でお応え下さり モタモタする通訳を

「 お前では遅い! そっちの君!伝えよ 」と

後に それはまるで生前の稲城和上とそっくりだったと 

がしっと握られた手は おじいさんなのに大きくて力強かったと 笑った日もありました

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ああ お腹いっぱい

思い出すだけで なんだか吐きそう

恥ずかしいこと 満載です

それでも おかげさまで

不思議なご縁に導かれ

いろんな方々に我慢していただいて

ここに居ります




わたしだけではないでしょう

どこを歩いているのか その時はわからない

後になって 弥陀の光をたどった

こうなるべき道をたどっていたんだなぁと気がつく





久しぶりに ソナムの写真を引っ張り出して眺めましたら

つい仕舞っていたはずの 苦かったり 酸っぱかったりの思い出まで引っ張り出してしまいました



どうも お粗末さまでございました



                                          なもあみだぶつ












 

by shinwoyorokobu73 | 2014-05-11 09:36
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