人気ブログランキング | 話題のタグを見る

臨終の耳元で

   

    
    お彼岸法話会、
    
    
    

    とても心地良い風の吹く土曜日に

    とてもありがたいご法話をお聞かせ頂くことができました。


 
臨終の耳元で_a0204371_13391226.jpg


    17~18年前、
    
    
    

    わたしが京都でお得度を受けた時、

    その話合い法座の中で こんな質問がありました。


    「 あなたの目の前に今にも臨終を迎えようかという方がいる時、

      あなたは僧侶としてどのような言葉をその方にかけますか? 」


    自分が死ぬことなど想像もできない年頃の事、

    自分だったらどう言ってほしいか?

    真剣に考えました。


    

    わたしは死ぬことの何をこんなに怖がっているんだろう?

    

    
    わたしが怖いと思うのは、
    わたしが死にたくないと思うのは、

    死ぬ前のあの空気が吸いたいけど足りなくなる不安?
    体の耐えられない痛さ?
    その後に何があるのか想像できない不安?
    ひとりで往かなくてはいけない不安?
    ひとりぼっちを実感する不安?


    ・・・・・・・か?

    
    それなら、
    

    「 わたしは、その人の手をとって、
 
     


      『もうじきお浄土に生まれさせてもらいますよ。  だいじょうぶ。 

       わたしも、あなたの大事な方たちも必ず往きますからね。 だいじょうぶよ。』  」


     と言うだろうと言った。( そうしか言えなかった)







    阿部先生はこの度のご法話で、

    人間は心電図がピーーーーーーーと脈打たなくなっても

    耳だけはしばらく聞こえている、と仰った。

    ( 人間には機械では測ることができない何かもあるのだろう。)

    ピーーーーーーーーと成ったそのときは


    「 長い間お疲れ様でしたね。 もうすぐお浄土に生まれさせてもらいますよ。

      わたしも必ず往きますからね。 なまんだぶ、なまんだぶ、 なまんだぶ。

      みんな一緒のお浄土に生まれますからね。 お浄土があってよかったねえ。 」


    大切な方の耳元でそう言ってあげてくださいね、と仰った。



    

    お参りのみなさんも うん、うん、と大きくうなづいておられた。

    安心の空気が広がったひと時でありました。

    





    この度のお彼岸法話会には

    いつぞやの17歳の青年もお聴聞くださいました。

    「 自分にはまだ 老い は実感できないことだけれども、

      たくさんうなづけることがありました。」  と素直なご感想をいただきました。

    今回は名前をちゃんと聞きましたよ。



    そして、いつもよりも大変豪華なお花をお供えできましたのは、

    お花屋さんからのお布施でございます。

    本堂に入って早々に 「 まあ!お花がきれいに活かってますねえ! 」 の声があちこちから。

    
    お花は阿弥陀様のお慈悲のはたらきを現わすと言いますが、

    改めてお荘厳の大切さを感じました。




    みなさま昼間はまだまだ暑い中をお車やバス 電車で と

    ようこそお参りくださいました。



    阿部先生、お参りのみなさま、よい時間をありがとうございました。



                             なもあみだぶつ



































    







    



     

     

     


     

     

     

     

     





    


    

    
   

      
  
     

     

      

      
     



     

     

     

    





     


     

     









    
    









    
by shinwoyorokobu73 | 2012-09-19 00:33
<< おばちゃん考 こころの日光浴に >>