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夏の影から

小学生の時の夏休み 妹は恐ろしげな炎の絵が描かれた本を

真面目に読んでいた記憶があります



あまり本が好きというほどでもなかったはずの妹が

私の知らないジャンルの本を黙々と読んでいる様子に

私は 自分が気づかないことに妹は気が付いているようで 面白くなくて おまけに姉として見栄っ張りだったので

「 私は妹が読んでいるような戦争の本は 好きじゃないから読まない 」と

敢えて興味がないから読まないような ふりをしていました



 

先日、テレビの番組で 『 インパール作戦 』という日本軍の立てた無謀な作戦があったことを知りました

幼い頃からその程度の奴でしたので 恥ずかしながら やはり私は知りませんでした

テレビにかぶりつきで見ました

何故でしょう

今までも毎年このような番組はあったでしょうに






その作戦によって帰らぬ人となった 兵隊さんたちの 目を覆いたくなるような姿が映されました

それなのに、 それを命令した人達はその作戦を命令するだけして 

ご自分達は とっとと日本へ帰り

その中の一人の方は 終戦後は言い訳ばかりなさっている録音も流れました

「 こんな人が指揮していたなんて、亡くなった方たちの方がよっぽど立派だったじゃないか! 

  n田ってどこの人よ! 」と思いました

インターネットで検索すると・・・佐賀の人・・・

胃が重たい感じになりました







「 なんでこんな へんてこりんな事が現実に起こったのか! 」

腹が立ってきて 住職の本棚にそんな近代日本史の本があったはず と

探して 今 読んでいます

『世界大戦』という言葉だけを知っていて

私は 実は 言葉しか知らなかったようです









「 わかってる! 」夏休みに 子供たちは何度となく私にそう言います

でも、私からすると分かってないことが丸見えなのですが

本人たちは「 わかってる! 」と思い込んでいます

私も同じことだったような気がしています








佐賀の父に電話で「 インパール作戦 って知ってる? 」と訊きました

「 いいや、終戦の時は私は10歳くらいであまり詳しくはその頃のことは知らんよ

  大人もしゃべりたがらんやったからね 」


「 今の人に戦争の事はわからんやろう 教える学校の先生だって全く知らんやろう? 」という

年をとった父に それ以上のことは訊き辛くてあまり話せませんでした







佐賀のご門徒だった104歳で亡くなった石田のおばあちゃんは

従軍看護婦でした

幼い長男と乳飲み子だった次男を残して戦地へ赴いた日々

次男を産後間もない時に召集されたので 船の中でおっぱいが張って 痛くて痛くてどうしようもなかったこと

次々に亡くなる人を十分な物資もない中手当をしたことを

私だけでなく 沢山の人に語ってくれました




朝起きたらお仏飯をお供えして 仏さまに手を合わせ

80歳過ぎても朝起きたら自分で布団は畳んで押し入れに仕舞い

庭のピンクの侘助の枝が伸びると その枝を切っては小さくして 新聞紙の上で乾かして焼却炉で燃やし

燃やした灰は また庭の花の根元に撒いて 花が咲くのを楽しみに待つ

年賀状は200~300枚を11月から毛筆で一枚一枚書き

お正月には 午前中にお風呂に入り きれいになってお寺にご挨拶にみえました

帰ってから自分に来た年賀状にゆっくり目を通すのが楽しみだったご様子は とてもかわいらしかった

夜寝るときも お灯りつけて 仏さまに手を合わせて ご挨拶して休む

丁寧に丁寧に 一日一日を暮らして

一日と言って無駄にすることなく感謝して お浄土に還って往かれました








インパール作戦を知って 一日 腹が立ったものの

戦争というと

最後に思い至ったのは

石田のスマさんの姿







なんでもない 私の今日の中で

やれることを やり

丁寧に 生きさせていただかないとなぁ

「 ななみさん 」とお浄土から笑うスマさんの姿が

遠くを見てしまいがちな私に 大切なことを 今も教えてくださっています






                                               
                                                     なもあみだぶつ




 

by shinwoyorokobu73 | 2017-08-18 12:01 | 季節
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