報恩講で灯を

昨日の雨もちょうど良いお湿り程度で

今朝は秋晴れ

今年も雨が続き 災害が多い年でしたから よけいほっと感じます


秋と言えば方々で

菊花展など華々しい展覧会が行われているけれど

我が庭隅には

昨年 お仏華につかった小菊が

他の花が萎れても元気な葉っぱをしていたので

指して放っておいたら

「 あれ? 葉っぱ? 」

「 あれ? 蕾? 」

と言う間に ちいさな花をいっぱいに咲かせています

ろくに世話もしなかったのに 健気な子です

おかげで朝のゴミ出しの出入りが清々しい

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ちょっと前までは

菊なんて見慣れ過ぎて何とも思わなかったのに

最近はこんな風に

庭先や畑の隅に植えてある

ちいさな菊が 

妙に 気にかかる



ちょうど わたしの母が

私くらいの年の頃

「 私が死んだらお墓の傍に コスモスの花ば 植えて欲しかぁ 」

と言ったことがある

私はプッと吹き出し 母はムッとした




なんでこんなことを憶えているか

そう、私の母にコスモスは

あまりにも似合わなかった

あの頃の母は あの頃の私から見たら

まるで 野あざみ

雨にも負けず 風にもびくともしない

踏まれても枯れそうになく

好きなように枝葉を伸ばし 

下手に触ると痛い

そんな人だった





ちなみに 

母は今も元気に生きて居り

やっぱり 元気な がばいばあちゃん坊守だ

が、昔を知る私としては

帰るたびに見下ろす肩が丸く小さく感じられるにつれ 

「 やっぱり 植えるのは あざみ じゃなくて コスモスにしようね 」

と思うようになった




「 人ってどんな人も老いていくんだなぁ 」

一番近い人間 『親』というのは

一番大切なことを教えてくれる

一番怖いと思う事を

一番目を逸らせたい事を



私も 死ぬんだ



ただ、幸いなことに

母には死んだ先が 「往く所」と決まっており

死ぬんじゃなくて 「往く」 「参らせてもらう」と成っている

自分の内に灯をいただいたおかげで 

小さくなろうが トボトボなろうが

迷いなく 任せて 往く 

灯を頼りに 一日一日を堂々と歩く

頼もしい先達の後ろ姿よ

 


そうそう、 そんな母に付き合ってきた

しゃべらないが我慢強い いや、感謝しているであろう 父

彼は 何の花が好きだろう?

聞いたことが無い

一度、好きな女優さんは 「 八千草薫 」と聞き

私はプッと吹き出し 母にジロリと睨まれた

いい勝負の夫婦である


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「 俺は 野に咲く名も無い花のように生きていきたい 」

私の傍らに座る住職は言う( 爆笑 )

打ち上げ花火みたいな人が・・・

私の傍には いつも こんな人ばかり

灯を頼りに往く先の決まった人の 老いの道は

皆 安心の そのまんまの姿  

同じそのまんまでも

色即是空の まんまの 『 色 』 ではなく

一周まわった 空即是色の 『 色 』 のよう

何だか違うが 言葉で言えない 表せない 

同じなようで 大違い

避けて歩きたかったであろう 老いの道が

聴けば聴くほど 広々とありがたい道となる   





大切なお知らせが最後に成ってしまい申し訳ございません


本年の 報恩講法要は (初めてのお方は法話会と思ってください)


   11 月  27 日 ( 日 )  13 時 30 分 ~
                     15 時 30 分 頃


    講師   福 田 康 正 師  ( 山口県 専福寺 )


山口の方言が温かな 力強いお取次ぎをしてくださいます

お忙しい中を 2年ぶりにお越しいただきます



ただ、何の縁(よすが)も無く 老いていくのは誰でも心細いものです

生きる縁となり灯となる ご法話に どうぞどうぞお参りくださいませ



                              なもあみだぶつ







                           















                                






















by shinwoyorokobu73 | 2016-11-02 13:33 | 行事 | Comments(0)
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