彼岸を思う日

本日は 法話会が始まる直前に雨が止み

お日様まで顔を出していただいて

天気予報も こんなハズレ方はうれしい そんな法話会となりました

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うじゃっと子供たちもお参りで

2時間半みんなお利口さんで 静かに・・お参り・・・

出来るはずはなく・・・^^

でも 大人を邪魔しないように程々に気を付けながら

お彼岸の数時間を 一緒に法話の時を過ごさせていただきました

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最近はうれしい事に 子どもたちや赤ちゃんを連れてお参りいただく方がいらっしゃって

「 キッズルームがあったらなぁ 」 と思っていました

お勤めの後 ご法話の途中で小さい子ども達は うろうろし始めだしたので

今日はうちの住職がご法話でしたから

台所と普段ご講師のいらっしゃるお部屋に

小さい子どもたちは引っ込んで 楽しくワイワイやっていました


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お彼岸にお寺で法話を聴くということは

仏縁の無い方には 「 縁起でもない 」 ようなことかもしれません

元気な時に 「 死ぬ 」 話を聴くのですから



でも、 

私の命がどこに向かっているのかを 聴くということは

私の今の生き方を大きく左右します

ただ生きるのとは見える景色が違ってきます






今 中学生たちが よく 『 世界から猫が消えたなら 』 という文庫本を読んでいます

間もなく病で死ぬという宣告を受けた青年は 

悪魔から 「 この世界から一つ何か消したら 君は一日だけ多く生きられる 」 という言葉をかけられます

最初 彼は自分の命と引き換えに世界からいくつか消してみるのだけれど・・・

誰かから何かを奪って生き延びるということが幸せとは思えなかった

だから 結局 彼は世界から何かを消すことなく 「 死ぬ 」 ことを選びます






【 一生補処(いっしょうふしょ)の菩薩 】 さま は 阿弥陀仏と同じ悟りを得ることが出来るのに

その悟りを得ることをしません

ここは 私はまだ腑に落ちて居なくて 住職にもう少し聴きたいところです

衆生と 〈 共に 〉 救われたい ? ということ?

菩薩の位で 他の人と共に生きることは もう既にそこで如来と同じはたらきの中に在るいうこと?






 『 世界から猫が消えたなら 』 では

青年のお母さんが彼より早く亡くなっています

お母さんは亡くなる前 「死ぬまでにしたい10のこと」 を考えます

旅行に行きたい おいしいものを食べたい・・・でも、本当に死ぬまでにしたいことはそういうことなのか・・・

いや、お母さんが死ぬまでに本当にしたいことは

よく自分の胸に聴いてみると 全部後に残す青年のためにしたいことだった と思い至るのです




住職が話しましたように 今日のご法話ととても繋がる小説です




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私が本当にしあわせであるということは

自分だけの願いで自分だけが嬉しくなることではないのかもしれません

彼の岸を思うとき 此の岸で今を本当に大切に生きるという意味を 静かに考えさせていただきます



ありがたい春の法話会でした





みなさま ようこそ お参りくださいました



                                              なもあみだぶつ
by shinwoyorokobu73 | 2016-03-20 00:54 | 季節 | Comments(0)
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